20000131

列車速度を定義する。の2 前説 アインシュタイン氏のケアレスミス。



今回、togetter では前説を省略させていただきました。


では、省略した前説、どうぞ。


実数の直交する3次元座標空間には、無数の座標点がある。
この中から8つをピックアップし、
立方体イメージを頭の中でする。

ガリレオ相対性原理に慣れてると、
立方体を包む無限空間広さ内で、

この部分空間が動くと思ってしまう。



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座標空間すべての点集合が「注目全体」。
8つの点でイメージできた立方体は「注目部分」。

座標点は原子ではないので、動かすことができない。

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8つの点で立方体イメージが喚起されただけで、

立方体イメージ内空間にも無数の座標点が存在し、
立方体イメージ外空間にも無数の座標点が存在する。

座標点と座標点の位置関係が変わらないので、
1つの慣性系みたいなもんだ。


数学者は座標空間内に身体を持たず、
座標空間そのものの存在を頭の中で把握する。

視線を使って把握しているわけじゃない。
眼球とかカメラアイを包む身体なしで、
手段なしで、直接把握している。頭の中で。

地図は、投影法とか射影幾何学で
点光源や平行光線群。平面のスクリーンとか使って
球表面を写像変換してるけど、

建築設計図は3面図で。


いま数学者が頭の中でイメージしてる
座標空間そのものは、原初のもの。

座標空間そのものが存在していると
宣言だけしたもの。

xyz軸とか、まだない世界。



立方体イメージだけは、手続きなしでイメージできたことに
してるけど、

この立方体イメージの6つの有限面に、
サイコロの123456のような区別さえ、ない状態。


量子力学でも、2枚のコインの裏表の区別が、

「表表・表裏・裏表・裏裏」とする、
通常の確率の場合分けじゃなくて、
「表表・表裏(裏表)・裏裏」の
3つにしか区別できない世界あるそうだけど、
そんな感じの状態。


座標空間に対し、座標空間内の点々を
座標空間内で感知する身体なしで、
昔々、遠くのある国に、冒険者がいました。
王様でもお姫様でもいい。

物語の主人公が存在していました。
と、言葉で、存在だけが宣言され、

具体的に、どの方向から物語の主人公を見ているか、
カメラ視線、カメラの視線方向と、カメラの空間内存在がない状態。


厳密には立方体イメージの形さえなく、
プログラムで立方体イメージを液晶画面に描く
プログラム文が、半導体メモリーに情報として、
電荷とか磁場の状態で、ほとんど局所点に大きさなく
収容存在されているのを、イメージしてほしい。

空間的拡がりのない世界にある立方体イメージ。

これが「注目部分」だけからなる立方体イメージ。


表計算エクセルの、有限個の行と列で数値が分離保存されてるような。
テレビ電波や、インターネット回線の01信号で映像情報となるものが
送られてくるような。

数直線をオルゴールの音程1つだけを時間軸として、
1つの音だけしか出せないオルゴールを作って、

線分区間に打鍵するピンを配置する。

wiki
シリンダやディスクには譜面に合わせて音楽が記録されている。シリンダー上にはピンが植えられ、ピンが歯を弾いて音を出す




数直線の1に1つのピン。
数直線の2に短い間隔で2つのピン。
以下、くりかえし。



モールス信号のツートントンの音の長短だけで
情報が送られ、その情報からプログラムが液晶画面に
立方体イメージを描くような世界。


最初っから、形イメージがあるようなユークリッド幾何学じゃなく、
たぶん現代数学の数学者さん達がやってるだろう、

形も大きさもない世界。


そこから派生して、普通にイメージする
実数の直交する3次元座標空間がイメージできた。

この座標空間の3軸に、xとyとzという名を与えた。

ヒト身体にとって上下左右前後。
ヒトは、魚や鳥や馬と違って、

両眼は、顔正面を見ている。

ハンマーヘッド(鮫)のような、進行方向、
泳ぐ進行方向前方ではなく左右を観察する、
列車車窓を正面に見る乗客。

客車内の乗客が、都市近郊電車だと、座れば
正面に車窓が見える。

郊外の電車や新幹線だと、進行方向か進行方向反対に背もたれあるから
首を90度回転させると車窓が正面に見える。














「注目全体」として、
実数の直交する3次元座標空間に注目した。

ならば、

実数じゃない直交する3次元座標空間とか、
実数だけど、直交じゃない斜交する3次元座標空間がある。

xyzの内の1つ、xyが斜交。yzが。zxが。
xyzの内の2つが。
xyzの3つともが。

可能かどうか、数学者でない俺にはわからんが、
こういう場合分けが、

「実数」とか「直交」という単語を否定することで
登場してくるのが、

「非注目部分」。補集合みたいなもの。

言葉(単語)をそのまま信じない。
受け入れなければ、比較が可能になる。




特殊相対性理論で斜交座標が出て来るが、

列車は3次元的工作物であるのに、
列車側面を見る観察方向だけの思考視野狭窄で、

線路系観察者:
客車側面をイメージして、
その両端に客車中央からの光子ペアが同着しない。

列車系観察者:
客車側面をイメージして、
その両端に客車中央からの光子ペアが同着する。


建築設計図の3面図。
その正面図に客車側面を描いた視線方向だけで、

結論している。



こんな風に。
線路系数直線の同時はx軸と水平。
列車系数直線の同時はオレンジの斜め線になるハズだ。と。



碁盤は19x19の交点がある。
これを対戦者同士は座りながら、地面方向に盤面を見ている。

解説者は立って説明するから、盤面を教室の黒板のようにして、
教室内の生徒達が黒板を見る方向で、

テレビ視聴者の視線方向を想定している。


ここで、マイケルソンとモーリーの実験を思い出そう。

マイケルソン・モーリー 実験装置


まるで碁盤だ。
対戦してる棋士が、碁盤を上から見ている感じ。

地球からの観察では、碁盤は動かない。

地球系が動いて見える、
つまり実験装置を鉄道貨車に載せて、
ホバリングしてるドローンから見たらどうなるか。


この場合、鉄道貨車に一緒に乗ってる
マイケルソン氏とモーリー氏が、
対戦している棋士のように、碁盤を上から見ている感じになる。


ところが、列車に載せた光時計筒。

通常は、光時計の実験で、筒(つつ)という表現出てこないけど、
望遠鏡の筒と、光行差。恒星からの。が、あるから、
常に、光時計筒と単語名を決定し、強調してるんだが、

列車に載せた光時計筒内を光子は、
床から天井に、上下に動いてる。

それを見るのは、教室内の生徒が黒板を見る方向だ。

これって

https://abema.tv/now-on-air/shogi

囲碁でも将棋でもいいけど、
同じだ。

俺は囲碁はさっぱりわからん。将棋はちょっとわかる。



特殊相対性理論の話をするのに、
視線方向と、身体が下を見てるか、黒板方向前方を見てるかの
話ばかりしてる。

だけど、特殊相対性理論は、科学や物理の問題ではなく、
手品のトリックと同じ、心理的見過ごしだから、

徹底的にやってる。


論理で考える前に、なにを見過ごしたか。
それに気付くには、思考視野を拡大する必要がある。


まだ俺の言いたいことが、言えてない。




無限の中に、立方体イメージが1つあっても動いているかどうかわからない。単独存在イメージから、動きを認識することができない。



3次元から2次元にして考えてみよう。

無限の広さの教室黒板。

夜間、見回りで、守衛さんが懐中電灯の光を黒板に向ける。

ミンコフスキー時空図では、未来に投げつける光子は
上への未来光円錐だけど、

それを水平方向に向けて、懐中電灯から光子複数を放つ。
円錐状に放った光子達が、黒板に到着する。

黒板に真円とか楕円ができる。照らされた部分。

そこに、立方体の代わりの正方形が見えるかな。
照らされた範囲内に。

まず照らされた範囲内に正方形が見えるかどうか。
照らされた範囲より正方形が小さければ、正方形であることわかる。

正方形の方が大きければ、ちょっとやそっと、懐中電灯振って
照らし出す範囲を大きくしても、わからない。

とにかく、照らし出した範囲より小さい正方形が見えたとしよう。
懐中電灯、振るのやめて、照らし出す範囲固定。


やっと、正方形が黒板表面を動いてるかどうか言えるようになった。


懐中電灯が作り出した真円とか楕円。
その縁(ふち)に正方形が近付くとか、出て行く。
或いは、真円や楕円の中央とか中心に正方形が近付いてるのを感じて、

正方形が動いていると言える。

もし無限大きさの黒板に、無限大きさの照らし出し範囲だったら、

正方形イメージが動いてるの認識できるだろうか。



黒板に数直線が描かれていたら、別だ。


数直線の刻みや方眼紙の正方形が、
1つ1つの形。輪郭線になって、
動いた量がわかるようになる。

これは懐中電灯が照らし出した範囲を
正方形とか点イメージが何度も出ていき、

隣接する方眼マスや、数直線刻み間が、
1つ1つの懐中電灯が照らしだした範囲になったものだ。


黒板に刻みがあって数直線や方眼紙になってるとした。
それなら、

懐中電灯の光源を保護するガラス面に刻みがあってもいい。
こういうのが「非注目部分」。

語られている条件設定、「注目全体」を勝手に変奏(へんそう)する。


「非注目全体」は、この程度じゃ思いつかない発想とか、
自分の欲望なのか、社会の常識として刷り込まれた洗脳なのかとか、
自他の区別が、自分自身じゃ区別できないせかい。
自分自身の姿は、自分には視野外だから。



懐中電灯の照らし出した範囲に、
懐中電灯の保護ガラスの傷が影になって見える。

照らされた範囲内に見える数直線刻みや方眼紙の正方形輪郭線集合じゃなく、懐中電灯保護ガラスの傷が投影されたものだったとしたら。



照準器 wiki


銃身の前後、照門と照星と標的が、空間内に1直線で、
時間変化で位置関係変えなければ、

眼が動いても、弾は標的に当たる。


認識側の眼の銃身に対する動きは関係ない。

宇宙から地球表面の出来事見ても、
地球表面の出来事に影響しないを連想しないだろうか。
連想してくれ。


宇宙から見て、地球が横ズレしたら、光子軌跡が、
ジグザクして見える、斜線になるとした、
マイケルソン・モーリーの実験解釈の誤りを。

宇宙から地球を下方に見るとき、
見えた地球は、見えたときの地球は、
ズレてる。

高度0メートルで下方観測したのが、ミンコフスキー時空図。




こっちは顕微鏡の接眼レンズと対物レンズで、
プレパラートと眼の位置が、空間距離離れてるを書き込んだもの。


ミンコフスキー時空図では数直線区間2の情報集めるのに、
区間中央に位置すれば、1待つだけだったが、

こっちは視野角45度で高度1で、宇宙から
線路区間2を観察したら、観測じゃなく観察したら、

線路区間両端からの情報が、設計図レベルの思考で、
設計図空間内を光子が1秒で1単位進むとする。

線路区間両端からの情報は√2秒後になる。



実験では、設計図レベルで思考視野狭窄して注目しなかった要素に出くわす。

だがまだ実験する前の、実験準備段階の実験設計企画段階。



このボートは湖面に対し不動なのか、

この水面。水面の一部を見てるけど、
湖岸が視野に入ってないから、

銃眼を覗いている俺が、狙撃対象を常に銃眼中央に捉えようと
銃を回転させてるかもしれない。

狙撃対象とボートが、「注目全体」。
狙撃対象の額(ひたい)が、狙撃目標点を包む「注目部分」。

ボートの浮かぶ水面で、視野内に入ってる部分。
銃を回転させてるかもだから、

水面範囲は瞳の縁(ふち)を意識して追い駆けると逃げるような
見えている範囲の水面大きさが把握できない感じ。

ボートは全体大きさが視野内に一時(いちどき)に見えるから
遠近法からでも視野角使って現場大きさを述べることできるけど、

水面「非注目部分(注目全体のボートと視野境界に挟まれた部分)」は、
懐中電灯を振って、照らし出す範囲を拡大させたような、

だけど、瞬時瞬時には、照らし出す範囲は楕円で、
左に照らし出す範囲拡大したときは、上下右が見えないとこ大きくなる。

一時(いちどき)に、拡大された照らし出す範囲は同時に見えない。
これが「一時に照らし出して見える範囲(注目全体)」を包む、
「拡大範囲(非注目部分)」。

懐中電灯を振って見える範囲が拡大した。
これを「非注目部分」としたけど、

この外側にも黒板は拡がってるし、
平面の黒板だけでなく、懐中電燈を振り回してる自分の立ち位置もある。

対象を平面に視野狭窄してるのは懐中電灯を使っているものでであって、

この文章を読んでいる貴殿には、
黒板平面と懐中電灯を含む3次元空間が、思考視野内に入ってる。

それだけじゃなく、書き手のこの俺が言わんとするとこも、
書き手のこの俺が書き損じてる範囲も、

大きく俯瞰して、書き手の特性とか能力も視野内に入れて
分析できる立場に居る。

もちろん、自省とか内省ができるものなら、
他者を分析する自分は、自分を見ることができないを知っているから、

己の視野が限定されているのを自覚する。


日本的ママに甘えた風土じゃ、
だから、他人に悪いことしないように。
だが、これはただの処世術の話なんで、どうでもいい。

処世術として、個人として波風立てないのは自由。
だが日本的田舎者は、ママの言いつけを周囲に強制する。

まあ、これは、田舎の権力者レベルだから、ま、これもどうでもいい。
面倒というだけ。

俺が嫌いなのは、ママの道徳だか処世術を、
田舎の権力者でもないのに、宗教家でもないのに、
守るべきだ。守るには徴税して警察権力作り出して行使すべきだ。
の、奴等。

田舎の権力者がやる分には、身体持ったバカか、自覚しての横暴だから構わんが。

俺が嫌いなのは、田舎者が近代国家を宗教の代わり、偽宗教として使ってること。

宗教に関しては、俺がなんか言える立場じゃないんで。
だけど、近代国家を偽宗教として使う参謀本部主義が嫌いなんで。

俺の欲するのが、合従連衡の場。合従でも連衡でも、その元々の故事の意味はどうでもいい。


で、話を戻す。



懐中電灯の光が未来光円錐の底面に到着し、
黒板状況を、過去光円錐底面から、現在時点に情報を届けにくる。
黒板での反射で。



懐中電灯を振った行為が、列車速度。
これが連想できたかな。

静止時の客車長さに対して、
線路を走っている客車をイメージすると。

いま見えた客車長さと、その真下の線路レール長さ。
1秒前に見えた客車長さと、その真下の線路レール長さ。
1秒後に見える客車長さと、その真下の線路レール長さ。

これを重ねた範囲を、一覧、一時(いちどき)に見えるように
懐中電灯を振っては、列車速度わからなくなるから、

黒板平面から遠去かる。後退(ずさ)りする。

盗人ヘルメスの後退りをする。

視野範囲が拡がった。静止時の客車側面長さ、
通常全長と呼ばれるものだけでなく、
客車が動いても、懐中電灯振らなくても、見えるように。

その客車内から光子ペアが進行方向前後に放って、
1秒後の到着地点と、客車両端の位置を、
懐中電灯振らないでわかる、2光秒長さの線路区間を
一覧、一時(いちどき)確認できる位置まで、

視野角と奥行き距離の関係使って、線路から、
黒板平面から離れる。



乱暴な、あちこち振り回しての説明だけど、
必要性理解は懐中電灯振る舞わす感じで、
あちこち見てもらなわきゃなんだ。

あちこち見てもらった後に、整理ができる。


ミンコフスキー大先生は数直線線分区間中央に立って
情報集めたけど、それは数学者のやり方で、

実験物理では、線路区間の真っ直ぐさ、とか、
線路各部同時存在してるを、可能な限り保証しなきゃなんだ。

局所点の観察者が、実験空間の線路区間をどう扱うか。



数学者は頭の中で、
座標空間無限全体の
部分空間である立方体イメージしてる。


見る方向、正面図だ側面図だ上面図だ。
投影法だ、射影幾何学だなんてのは、後の話。


表計算ソフトの行と列。
囲碁の19x19。

表計算ソフトなら、将棋の駒はマス枠内だから、
そっちの方がいいかな。

だけど立方体イメージを8つに等分割する3つの平面イメージすると、
平面と平面の直交がxyz軸になる。

逆に、直交する3次元座標空間内の1つの点を選んで、
3つの直交する直線を通過させれば、
8つの立方体的な空間に、座標空間そのものが分割される感じ。





座標空間内に部分空間の8つの点による立方体イメージをしても動いていない。

だけど懐中電灯の照らし出した範囲を視野とすれば、
視野枠と正方形の関係で、動きがわかる。

今度は座標空間内に1つの点をイメージしよう。



どうしても判読し易い絵図をいきなり出すのを拒絶する俺がいるので、おぼろげな絵図を最初に見せる。

球体に直径をイメージする。
直径の一端を、網膜細胞群が集中した点とする。

反対側の直径の端が、瞳孔。
こっちは、球体中心から円錐を降ろした円周スカートが、
瞳孔の広がり具合。円錐底面が球体を2分割する。


網膜細胞が集中した点を光源とし、
瞳孔の開口部を通過し、黒板を照らし出した範囲ができた。

目から光線が出る感じの懐中電灯。


瞳孔の縁(ふち)が、瞳の縁(ふち)。

瞳の縁によって、光線の拡がりが制限されてできたのが、
視野内と視野外。

これは設計図レベルでの簡易思考だから、
瞳の縁と、視野境界が1対1対応してる。

でも、網膜細胞群を、レーダーの電波発振装置とすれば、
電子が瞳孔を通過した時刻と黒板に反射した時刻は別。



レーダー表示画面に、電子が航空機にぶつかった位置が示されているようだけど、電場が反射して空港にまで戻る経過時間もあるから、

このレーダー画面に見える航空機位置は過去の位置。

管制塔から光学観察(かんさつ)しても、見えるのは
現場で飛行機表面を出発した光子がもたらす情報で過去。

奥行き方向の観察も過去。



だけど、レーダー画面見るとき、
電磁現象世界の近接作用による情報遅延に慣れてない素人の方々は、

いま、レーダー画面表示地図内の位置に、航空機が位置すると、
思い込んでしまう。



前線指令部付き情報将校が集めた戦場各地の情報。
光学観察で。オートバイの伝令兵。伝書鳩。

情報を入手した時刻ではなく、現場時刻で、
過去の同時刻風景を再現する。

このとき、情報将校の局所存在性が消えている。
情報を集めるときは、情報将校はローカルな局所点存在。
だけど、過去地図を作りだしたとき、

もう情報将校は消えている。

ローカル性が消え失せた過去地図に、
個別の慣性系が存在するだろうか。

列車慣性系だの線路慣性系だの。


そこにあるのは、ただの座標空間。


相対性を記述するには、
このただの座標空間を再びローカルにする手続きが必要になる。


サーバーに蓄えられた映像情報。

現場で囲碁を対戦する2人の棋士の居る部屋の
天井に設置してあるカメラ。

このカメラからの映像情報が、サーバーに届く。
碁盤盤面の19x19の空間位置が、
ただの行列で、数値として処理される。

そこには形も大きさもない。


ネット配信業者が、液晶画面で囲碁対戦を観戦する視聴者に、
視聴者の正面に見える液晶画面に、

同じ風景映像を再現する。

観戦者が新幹線で移動中であろうと、
サーバーからの距離が異なろうと、

サーバーから離れつつ受信したら、
ドップラー効果のようなので、
1時間の放送が、1時間1分しないと終了しないこともあるかもだけど、

最初に受け取る静止映像1コマと、最後に受け取る静止映像1コマ。
サーバーからの距離が遠くなったから。


でも、これって、時間の遅れとは言わない。

ま、こんなこんなを、いろいろ頭の隅に入れてもらって、

アインシュタイン氏のケアレスミスを味わっていただこう。


では、本題に続く。





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